20221118
創業まもない頃に創業者の「愛のコラム」が
4大新聞紙面1/3に連載され大きな反響があり
コラム集「愛こそすべて」として
「主婦と生活社」から発売(1990/11/30)
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 アイビーの設立記念日は十月一日。この時期にあわせて実施してきたのが、「愛と美のつどい」です。初めは、全国から一堂に集まっての祭典でしたが、近年は、各地区ごとに販社が力を合わせて開くようになっています。
 今年は、九月十五日の山形を皮切りに全国で二十数カ所。多くの仲間とじっくりふれあえることに胸躍らせて、各地を飛び回り、さまざまな感動を味わってきました。
 なかでも、山形会は、代理店のすべてが販社に生まれ変わり、新システムのもとにスタートした記念すべき年。前回の「集い」では、まだ代理店として参加していた方々が、今ではそろって自信満々の立派な販社長です。その門出を祝うセレモニーの中で、私は大勢の熱気につつまれて壇上に迎えられ、勢ぞろいした販社長たちから花束を受け取りました。胸が張り裂けんばかりの嬉しさです。
 しかし、その感激さめやらぬ私が、打ち上げ会に臨んだ時、思わず我が身を振り返らざるを得ないような場面に遭遇しました。周りに集まった元代理店の方たちから、口々にこんなことを言われたのです。
「社長から販社じゃなければ一人前ではないって怒られた時には、びっくりしました。私たちはアイビーと一緒に人生を歩いていたんですからね。社長にも喜んでもらえるようにアイビーの仕事を一生懸命やってきたつもりです。だけど、社長は怒るばっかり‥‥本当に参りました。でも、怒られても嫌われても、社長についていくしかありませんからね。なんとか底力を見せなければ・・・・と、頑張り通しましたよ」
 当時、代理店システムの廃止を決定していた私は、ヤル気十分の彼らに発奮して販社長をめざしてほしいがばっかりに、叱咤激励の荒治療をやっていたのです。が、思えば、一生懸命やってきた彼らを評価もせずに、一方的に新しい販社長システムを押しつけていたにすぎません。そして、そんな私の態度によって、彼らの気持ちがいかに傷ついていったか。それがわかるに従い、ひしひしと後悔の念がこみあげてきました。すべてが良い方向に進んだことを彼らに感謝するとともに、リーダーとして、人を育てることの難しさを痛感させられました。
 さて、山形を深い反省と共に出た私を持っていたのは、続く各地の集いにおける、さまざまな感動でした。なかでも特別印象深かったのが、福岡・九重会による祝賀パーティー。二千人もの熱気につつまれたこのパーティのメイン・イベントは、メンバーの一人一人から私に、思う存分、言いたい放題、言うことでした。
 二十一歳の男性営業所長からの言葉です。
「何にもわからない十九歳の僕は、社長を信じて今日までただついてきました。その結果、今の僕がいます。来年四月に販社になることを、僕は社長に誓います。社長ありがとう、そして、いつまでも長生きして下さい。僕らのために」
 彼との出会いは、二年半前のSA・研修でした。互いの目を見つめ合うアイコンタクトのプログラムを終えた時、私のもとに飛びこんでくれた彼の姿が、目の前の彼と重なっていきます。あまりのうれしさに「ありがとう」の一言も涙でぐちゃぐちゃになったほどでした。
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また、明るい笑顔が魅力的な女性営業所長からは、「私には不幸が多すぎました。やっと授かった子供は、誕生まもなく病気にかかり、それにめげずに頑張って立ち直って、これからと思ったら、今度は火事で全部失って‥‥。こんな中でも夢中になってやってきたアイビーを、私はどうしても日本一にしたいのです。私は社長を信じて頑張ります」
 という涙のメッセージなどなど‥‥。
 仲間たちの一言一言には、愛と美と豊かさを求めて力強く生き抜いてきた、人生の重みがあります。宴の後、ホテルの部屋に戻って一人になると、再び心が熱くなり、涙がこみあげました。自分の中に、こんなにもたくさんの涙があったことを知って、それがまた私にとって新鮮な感動となりました。
 昔の私は、一人よがりで自分本位でした。何度も何度も親の愛を踏みにじり、突っぱって生きる孤独で淋しい人間でした。だから、人には絶対に弱みは見せたくなかったし、涙などはもってのほかだったのです。
 その私が、多くの人々と共に喜び合い、涙を流して抱き合える人間に変わったのです。こんなに豊かな心で大きな感動を実感できるようになったのは、まさに人間としての成長と信じ、ここまで成長させてくれた愛するアイビーの仲間たちに感謝しています。